知的障害児と姉

知的障害を持つ妹と姉の私、なんだかんだ大人になってました、そんな日々。忘れてしまう前に書いておきます。

▶ミキ〇ウスの赤い靴

 玄関を開けると目の前に飾り棚があり、春は桜、5月は兜、クリスマスにはヒイラギの葉といったように母がシーズンごとに飾り付けをする。兄や私が図工で何か作って帰ってきたときはその作品を飾ったりしてくれてたっけ。未だに私の小6の作品「笑顔」と書いた書と額を飾るのはやめてくれ。なんか恥ずかしいから。

 

 一時期、ミキ〇ウスの赤い赤ちゃん靴が飾られていた。「ミキ〇ウスは子供ブランドで可愛い上値段が高い」と私は思っていたので、なぜ未使用の靴が飾ってあるのか不思議に思って母に理由を聞いた。その答えを教えてくれたのは確か私が高校生のとき、家でダラダラしていると母が勝手に話だした。

 

 

 

 妹が生まれたときに、出産祝いとして友達からもらったミキ〇ウスの赤い靴。母は妹が生まれたことを周りに言っていなかったが、やはりお腹が大きいと見てわかるし、噂ででも聞いて知ったのだろう。その友達はわざわざ家にそのプレゼントを届けに来てくれたので、母はその際妹の障害を教えた、まだまだ立てないだろうことも。妹が立てるようになったとき、その1歳用の靴はもう2歳の足には小さくて履けなかった。でも可愛かったので玄関に飾っていた。

 

 ここで悲しいのは靴が履けなかったことではなく、その友達とその後連絡がつかなくなったことらしい。その友達は「しでかした…!」とでも思ったのだろう。母も「ここで言うんじゃなかった…!」とでも思ったのだろうか。でも、お互いにどうすればよかったんだろうね、私も未だに答えがわからない。

 

 

 この靴、押し入れにまだあったりするんだろうか?私に処分を言ってきたら容赦なく売るからな。

▶転がる妹

 妹が1歳を過ぎたころだろうか、このあたりから母の不安感が私にもわかるようになる。不安感というより、違和感というか…あの感覚は言葉にできない。私は当時5歳6歳くらいだろう、そんな幼い人間でもなんとなく空気が読めるんです。

 

 妹は1歳を過ぎても立たなかった。ハイハイもしていなかったのではなかろうか、かなり遅い成長だったらしい。母は懸命に妹にハイハイを教えたり、立っちするよう仕向けさせていた。母は立たせたいのだろうけれど、妹本人は全くやる気がない。というより、立てなかったんだよね、うん。母は元保育士で、いろんな子供を見てきた分自分の子供の成長が遅すぎることにとても不安を抱いていた。子供の成長過程なんて知る由もない私は「なんでそんなに無理やりさせるん?」と思っていたし、多分母に言った。不安を煽ってすいまっせん。結局、妹が立って歩いたのは2歳になってから。

 

 

 このような母に対して何度も「なんでそんなに無理やりさせるん?」「教育熱心すぎて引く…」ということを後の生活のなかで思うことになる。そしてその感情から派生するイライラやさみしさにコンプレックスを抱き始める。

▶妹、到着

 待ちに待った妹の到着?ご帰宅?ただただ可愛い存在をただただ可愛がりまくった。寝転がる妹の横に私も横向きに寝て、妹に延々と保育園の話をした。お腹に優しく手を当て、トントンしてあげた。保育園で習ったトムソーヤのお歌「バンビ人猟奇すさ~まじく~♪」も歌ってあげた。どんな歌詞だよ絶対違う上に、母が「歌詞が恐ろしいwww」と爆笑していた記憶がある。というか証拠動画がどこかに残っているはずだ。妹が家に来たはじめの頃の、あの幸せの一片は今もしっかり覚えている。

 

 まだ妹が床をコロコロしているくらいの時、母から妹の手術について教えてもらった。妹は、口を開けると上側にぽっかり穴が開いていた。なんじゃこりゃ?!怖いもの見たさから何度も妹にその穴を見せてもらった…。姉ェ…。後に数年数回かけて手術をし穴は塞がったが、手術経過の時にはその口内の穴に黒い糸が張ってとても痛そうだしグロテスクだけどやっぱり怖いもの見たさから、かなりの回数妹に見せてもらっていた…だって妹も構ってもらえて嬉しいのか楽しそうに見せてくるし…姉ェ…。

 

 

 この頃は私も4,5歳と幼かったせいか、家の不穏な空気やバランスの悪さは感じていなかった。しかし母はどう思っていたのだろう、多分妹が生まれてすぐ、医者から障害児であることを聞いていたのではないだろうか。母は妹が生まれたことを、友達や兄姉のママ友に言わなかった。母の周りに第2子3子出産ラッシュや幸せ事が多いなかで遠慮したのだろう、つまりはそういうことだ。

 

 でもね~、私保育所で妹生まれたこと言いまくってたよ?先生にも言ってたよ?絶対ママ友や先生からおめでとうと言われ、母は複雑な気持ちになっていたんだろうなぁ、本当すいまっっっせん。

▶妹が生まれた

「 私に妹ができる?!Aちゃんの妹みたいにあの可愛い妹ができるの?やった~!」

妹が生まれると知ったとき、私はとても嬉しかった。お腹の大きい母を見て、なんともいえない優越感やワクワクした気持ちを毎日抱いていたのを思い出す。

 

 実際、妹は生まれてもなかなか家には来てくれなかった。母も数日帰ってこない。妹はまだかと父にせまる。母だけ先に帰ってきた。その時、妹は予定より小さく生まれて病院から出られないこと、病気の手術をするからまだ家には来られない、と教えられてガッカリした。しかし当時は私も4歳、そういうものかと軽く受け入れ妹が家に到着する日をただただ楽しみに待っていた。

 

 

 その時母が妹の障害をどこまで知っていたか、医者に告げられていたのかどうかなんて知る由も無い。

知的障害児と姉

  こんばんは、20代後半で実家にパラサイトシングルしている【もの】です。

私は3兄妹で、3歳上の兄と真ん中が私、4歳下で知的障害の妹がいます。両親健在。ぼのぼの平和に退屈な毎日を過ごしています。

 

 

はじめに

 なぜこんなブログを書こうと思ったのか…1番の理由は暇だったからですが、もう1つは障害者のいる家庭をあけっぴろげに公開しようと思ったからです。母親の許可はとっていない(ヤバい)。

 

 私は大学時代の勉強の中で、いろいろあって障害者の家族について勉強しました。その中で意外と障害者の家族や兄弟のカウンセリングについての文献があることにビックリ( ゚Д゚) 当人の私にとってただの生活の一部であって、文献に書き表されるようなそんなもんじゃないと思ってましたから…。

 

 調べるうちに意外と障害児の親が『兄弟に迷惑をかけている』とか『兄弟がどう思っているのかわからない』と考えているそうな?そうなの?じゃあ障害者のいる一家庭を姉視点で公開するので参考にしてくださ~いってね!

 

 

  正直明るい話では無いだろうし、差別用語や差別感覚も思ったとおりにバーンと書いていきますのでご了承&不快に思われる方、また、まだいろいろと受け入れられる心ではないお母さん等は読まないほうがいいかもしれません…心が元気で気になる方はどうぞ(^^)/

 

 

 

妹プロフィール

・現在20代前半

・知的障害の軽度~中度をフラフラしているぐらいの知能レベルらしい

 (IQ60~70くらいと言っていたようないないような…)

・普通保育所→小学校特別学級→中学特別学級→支援学校→?→障害者枠で会社勤務

 

 

細かいいろいろは話のなかでご紹介していきます。また私自身幼少期の記憶が曖昧なので、覚えていることを物語り風に書いていきます。毎日更新頑張るぞ~!